各界からの
コメント
佐藤良祐 / Ryosuke Sato / 映画監督
3.11以降、寄りかかる信仰を無くした者たちが、それでも誰かを求めるあまり、もがき、隔たりをつくりながら彷徨うこの物語は、スクリーンの窓を通して、僕たちの暮らしと繋がっている。
僕らのパーソナルな歴史と深く繋がり、その息苦しさは自分自身の息苦しさに似てるのではないかと錯覚を覚えながら、彼ら、彼女らの未来を見守った。 高度経済成長期に生まれ、バブル崩壊の流れによって上場企業に勤めていた父が左遷、小学校の時から青春期にかけて7年間の単身赴任となった。父が単身赴任から戻った時、平日でも昼過ぎには家にいて、玄関先でゴルフの素振りをしていたのをよく覚えている。 その後に両親は離婚した。
僕の母も、おそらくは新興宗教にハマり、家には空から力が降ってくるというシールや、遠出するたびに、どこかの平家に連れていかれ、仏像のようなものにお祈りをした思い出がある。
90年代のどこかでポケットに入れて出すこともなかった自分のパーソナルな物語は、この映画の物語のどこかと繋がり、今の自分に迫ってきた。親世代から受け継がれた、「豊かな暮らしを願う信仰」と、「そんな事は今更わかってる事だろ」というある種の諦めの狭間で、僕たちは何を願い、祈り、子供達に伝えるのか。
物語の終盤、森山の滑稽極まりない変わり果てた姿が、清々しい希望の断片のように思えてならなかった。 そして、森山の元で一夜を過ごした朝、台所にいる慈の周りを則夫、大和、森山がそれぞれフレームイン、アウトするシーン、ある家族の朝のワンシーンのようで、なぜかすごく感動した。