各界からの
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久保田桂子 / Keiko Kubota / 映像作家

自分の感情の無意味さと沢山の時間の浪費、特に震災以後の社会に対する無力さ、流されていく感じの中で、周囲と自分を肯定する、
なんとかそこで踏ん張ろうとするのは、自分にとっては苦しい。
かつて自分が目にした大事なひとの信仰の施設。そこを訪ねた時の気持ち、結局形は違うだけで、そこにも日常と寂しさがあるだけなんだ、
と思ったこと、行き場のない人びとのセーフティーネットとしての宗教組織を、肯定する気持ちと反発なども思い出し、映画を観ている間、細部の危うさとどぎつさに時々戸惑ったりもしたが、なにより作品の全体を貫く、目に見えない気迫のようなものにあてられて呆然としてしまった。
常に所在なさげな則夫の佇まいや、他人(母、男性、主人公)の欲望を投影させられた儚い像のような慈に少しの息苦しさを感じるのは、
彼らのような顔を自分は知っているような気がするからだ。そう思いながら、同時に、主人公は今まで自分の時間を生きたことがどのくらいあるのだろう、とふと気になった。
彼らがその後、自分の人生の時間を作り出せるのか、また別の時間の中で流されていくのか。
とにかく、まだまだ続くんだ、と、会場を出た帰り道、さっきスクリーンの中で見たような風景の中歩きながらずっと考えていた。